MDV 20th 2003-2013

MDV20周年特別インタビュー

9月オープンの等潤メディカルプラザは新生・等潤病院の第二幕

社会医療法人慈生会 等潤病院
理事長・院長 伊藤雅史 様

9月オープンの等潤メディカルプラザは新生・等潤病院の第二幕

社会医療法人慈生会 等潤病院
理事長・院長 伊藤雅史 様

社会医療法人慈生会(伊藤雅史理事長・院長)等潤病院は今年9月、地域医療における病院の未来の姿を示す「等潤メディカルプラザ」をオープンさせます。同プラザは、医療・健康の複合施設で、現在、等潤病院に併設されている健診センター等潤を拡充させるのを軸に、緩和ケアセンターを新設、腎センターといった病院機能を移設して拡大、リハビリテーションを強化するために通所リハビリテーション、通所介護(デイサービス)などの機能を持たせます。これらの他に、ダンス教室ができる部屋もあり、シミュレーションゴルフなどができる多機能スペースは、職員にも開放する準備をしています。

等潤メディカルプラザは、本院となる等潤病院駐車場前の道路をはさんだ敷地に建設され、7月に竣工しました。2022年末には同プラザのオープンに先駆けて、新たな事務棟がすでに稼働しています。同プラザは高度医療から緩和医療までを提供することで、法人理念である「地域と共に生きる慈しみのトータルヘルスケア」を実現する場となります。同プラザの開設にあたり、伊藤理事長は以下のような言葉をホームページなどに掲載しています。

「I Have a Dream」はノーベル平和賞を受けたキング牧師の有名な言葉です。
人種平等を夢に託した演説は世界中の人々の心に響きました。そして、慈生会にも夢があります。それは、「地域と共に生きる慈しみのトータルヘルスケア」の実現です。

トータルヘルスケアは高度最新の医療から安心信頼の在宅介護、健康増進までを、切れ目なくシームレスに提供することを意味します。地域の皆様が住み慣れた街でいきいきと暮らし、病に打ち勝ち健康な生活を送る人々が集う、その夢の実現にためにプラザ(広場)に様々な機能を配しました。

等潤メディカルプラザには近隣にない緩和ケアセンターを新設し、健診センター・腎センターを機能強化して移設、等潤メディケア診療所(常楽診療所の後継)では在宅医療を更に強化します。通所サービスではいきいき倶楽部(デイケア)とわくわく倶楽部(デイサービス)を、住居系ではやすらぎホーム(有料老人ホーム)を新設しました。

そして、既存の等潤病院や老健イルアカーサ、訪問診療・看護・リハビリ、グループホーム、シルバーケア、居宅介護支援、地域包括支援センター等の質の向上を図り、新たな等潤メディカルプラザと融合して、法人の夢を地域の夢へと広げて参ります。ご期待ください。

少し時代をさかのぼってみると、等潤病院の病院名は、東京・葛飾の柴又帝釈天に由来します。14世住職の望月日翔(にっしょう)さんに名付けてもらいました。柴又帝釈天の本堂の周りには、彫刻が張り巡らされています。それらは仏教経典の中で最も有名な「法華経」の説話を選び出し、彫刻にしたものです。その一つに「慈雨等潤の図」があり、法華経経典の「薬草喩品(やくそうゆほん)第五」の「佛の慈悲深い教えは、あまねく地上を潤す慈雨と同じ」ということを表現しています。

等潤病院は、その彫刻から“等潤”という名前をもらいました。等潤病院などを運営する慈生会は、「地域とともに生きる慈しみのトータルヘルスケア」を法人理念に掲げています。それを体現する最終形が、「等潤メディカルプラザ」なのです。まさしく、慈生会の医療・介護サービスが仏の尊い教えと同じように、皆に等しく降り注がれる施設になることを目指しています。

伊藤氏が慈生会を運営し、地域医療を提供する中で、終末期医療の提供への思いはとても深いものです。そのため等潤メディカルプラザには「緩和ケアセンター」を新設します。

社会の高齢化は同時に、死亡者が増えることを意味します。伊藤氏は質の高い死(QOD=Quality of Death)を大事にしています。QODは、本人にとっての安らかな死を指すのではなく、死の直前にある人が人間としての尊厳が守られ、同時に残された家族にも安らぎがもたらされるような死の迎え方を実現することだというのです。伊藤氏は看取りについて、在宅の領域では往診や訪問看護が担い手になるとする一方、病院では緩和ケアセンターが担い手になると、それぞれの役割を明確に分けています。

現状、等潤病院では個室での看取りを心掛けているものの、多床室での看取りも少なくありません。家族が見守る環境や、待機する場所を十分に確保したいという思いが、等潤メディカルプラザで緩和ケアセンターを立ち上げる構想につながりました。等潤病院のある足立区や近隣地域に、緩和ケアの専門施設がないため、緩和ケアセンターが必要だという考えに至り、今回オープンする等潤メディカルプラザで実現させます。

「トータルリハビリテーション」とはシームレスなリハビリの実現

等潤メディカルプラザでは、リハビリテーションにも力を入れます。医師によって専門的なリハビリテーションが必要だと判断された要介護者が身体機能向上を目指す通所リハ「いきいき倶楽部等潤(デイケア)」、要介護者が自宅で自立した生活を送れるよう支援する通所介護「わくわく倶楽部等潤(デイサービス)」を新設し、すでにある本院の等潤病院と介護老人保健施設(老健)「イルアカーサ」との連携を強化します。

慈生会では、これらのリハビリテーション強化に向けた取り組みを「トータルリハビリテーション」と名付けています。急性期、回復期、生活期(維持期)、訪問、それぞれのステージのリハビリテーションをシームレスに提供しようというものです。二次救急の指定を受けている等潤病院が、患者の早期在宅復帰を進める上で、病院と在宅との中間施設である老健「イルアカーサ」との連携をより強化し、デイケア、デイサービスを新規に設置することで、患者の在宅での日常生活の質の向上を目指しています。さらに、住宅型有料老人ホーム「やすらぎホーム常楽」も新設し、ゆっくり余生を過ごしてもらう住まいも完備します。

イルアカーサで提供しているデイケアにおける、トータルリハビリテーションの具体的な取り組みとしては、高齢者の生活意欲や自立意識を高めることを狙いにした「おとなの学校」を毎日開催しています。「おとなの学校」とは主に高齢者施設でできるアクティビティで、特別な教科書などを使った模擬授業や五感を用いた回想法や運動を実施しています。

プラザは新生・等潤病院新生の第二幕

等潤病院は、1974年10月に開設された有床診療所の足立クリニックが前身で1979年6月に等潤病院に改組されました。伊藤氏は2007年4月に特別医療法人(当時)慈生会の理事長に就任後、経営危機に陥っていた同病院の改革に着手。低収益・高コスト体質からの脱却が必要で、救急受け入れ台数、応需率の低下を是正するために近隣の消防署への謝罪行脚をスタートさせました。これは新生・等潤病院の第一幕でした。

その後の改革は急ピッチで、2年後の2009年4月に同区内で初のDPC病院となりました。同年4月に血液浄化センターを立ち上げ、同8月に東京ルール地域救急医療センターに指定され、併せて二人当直体制を整備。同9月には健診センター等潤も開設。2012年4月には現在の社会医療法人に移行しました。2014年4月に老健「イルアカーサ」を開設、2019年10月に同施設を強化型老健から、超強化型老健に転換しました。等潤メディカルプラザにより、新生・等潤病院の第二幕が始まります。

伊藤氏が理事長に就任した際、法人理念を「地域と共に生きる慈しみのトータルヘルスケア」に定めて、経営改革と共に、医療のICT化に取り組みました。この法人理念は急性期から回復期、在宅医療、訪問看護、居宅・施設介護、健康増進までをシームレスに提供するための統合的経営を意味します。この目的を達成するためには医療・介護情報の統合が必須でした。

慈生会がICT化を加速化させるきっかけとなったのは、社会医療法人財団董仙会(石川県七尾市、神野正博理事長)恵寿総合病院と、社会医療法人高橋病院(北海道函館市、高橋肇理事長)の視察でした。2011年のことです。董仙会は慈生会と同様にMDVのPHRシステム「カルテコ」が稼働しています。董仙会、高橋病院、それぞれの法人は、医療・介護のICT化に対して先進的に取り組んでいました。慈生会も医療だけでなく、介護サービスも提供していたので、2つの法人同様に、慈生会も医療・介護のICT化は緊急課題だと痛感しました。

視察後すぐに、慈生会のグループ施設でのICT化に着手。病院、診療所、老健施設を始めとする介護事業所、訪問診療などで電子カルテ・介護システムの相互連携・情報共有化を始めました。また電子カルテと連動して、ベッドサイドの患者やその家族が、提供された医療の内容、つまり、処方や検査結果、バイタルサインなどが分かるようにしました。現在はベッドサイドのタブレットで閲覧が可能です。

「カルテコ」に出会い、「民間PHR事業者に賭けてみようと思った」

ICT化の総仕上げには、外来患者に診療データをどのように返すかが課題として残りました。最後のパーツがPHRでした。そこで出会ったのが、「カルテコ」です。患者が自身の診療データを持つので医師とのコミュニケーションが深まるだけでなく、受けている医療への理解などにつながります。既往歴や過去の処方データなどがスマートフォンで簡単に確認できるので、安心してほかの医療機関も受診できるだろうし、災害時や救急の場面でも重宝します。

慈生会では2019年5月、「カルテコ」稼働に合わせて記者会見をしました。世の中の関心の高さを反映して新聞・テレビなどたくさんのメディアが集まりました。記者会見で、「これまで医療・介護の情報連携を進めてきたが、外来の患者さんに診療データをどのように返すかが課題でした。PHR については、国が主導しようとする動きがあります。本来、国民の診療データの管理は国の役割ですが、国の PHR の実現にはまだ時間がかかりそうなので MDV に任せてみようと思った」と述べています。

慈生会では患者や健診受診者のほか、職員の多くが「カルテコ」に加入し、傷病名や診療で使われた薬剤、処置、検査結果などだけでなく、健康診断の結果も閲覧できます。慈生会では、電子カルテにワクチン接種をすべて入力しているため、その内容が「カルテコ」に自動的に反映されます。カルテに記録が残らない場合には紙の資料を個人で保管するしかありませんが、「カルテコ」を活用することで、接種歴を生涯保管できるメリットがあります。

「CADA払い」は働き手減少にも対応

「カルテコ」とともに導入した医療費専用後払いサービス「CADA払い」によって、患者は診察が終われば、支払い手続きが不要になるためそのまま帰ることができるようになりました。この仕組みを導入したのは、働き手が減少していく問題への対応という側面があります。現金支払い体制を維持しようとすれば、当然、そこには人員が必要で、人件費が伴います。

現在、人手不足が深刻化しており、事務部門のスタッフも極力、本来業務に特化させることが求められます。預かり金の経理事務処理、管理が軽減され、分割払い誓約書の保証人欄の記入の説明といった煩雑な業務もなくなります。 

また未収金の発生を防ぐことも期待できます。回収作業自体、大変な労力を要する。未収金の対象者をリスト化し、電話を掛けて手紙を出すといった作業は必要です。これらは「マイナスをゼロにする」作業であるので、生産性を伴う業務とは言えず、スタッフもモチベーションを保つのは容易ではありません。

医療費の支払い方法や支払い時期を患者が選択することができるようになるため、突然の出費にも金銭的な不安なく治療を受けることができます。医療機関にとっても、診療データを共有することで強固な信頼関係の構築が可能となります。 また、医療費の後払いサービスにより、未回収金問題の解消に寄与します。

プラザの真新しい建物には細かな工夫が散りばめられている

等潤メディカルプラザのオープンまでのカウントダウンが始まりました。真新しい建物は、微に入り細に入りデザインのこだわりが散りばめられています。建物内には照明の明るさだけでなく、少しでも自然光を採り入れようと、随所に開口部を設ける工夫をしています。

同プラザの南側の窓からは、隣接する墨田区にそびえる、高さは地上634メートルにまでおよび、世界で一番高いタワーとしてギネス世界記録に認定された東京スカイツリーの絶景が飛び込んできます。当初の建築計画では諸事情により、南側の開口部を制限していました。

しかし、次第に「プラザの利用者や入居者に、素晴らしい夜景を楽しんでもらいたい」との思いが募り、ギリギリに建築設計を変更して南側の開口部を広げることができました。また、職員が自慢できて、働いていることに誇りを持てる職場環境にしたいという思いから、病院や施設によくあるやわらかい・暖かい配色の「ナチュラルモダン」の色使いではなく、モノトーン中心で「クールモダン」な印象にした。さらに、おしゃれなタイルや木目調のアクセントを随所に配しました。

伊藤理事長は、数週間後に地域住民にお披露目する等潤メディカルプラザを見上げながら、こう話します。

「プラザは、たくさんの人が集まる場所です。プラザに集う人々が、住み慣れた街でいきいきと暮らし、病に打ち勝ち健康な生活を送れるようにこれからも支援していきたい」