「臨床・薬学研究に貢献する医療ビッグデータ」#7 京都大学大学院 医学研究科循環器内科 助教 山下侑吾 氏
2025.12.05
2025.12.05
妊娠中の静脈血栓塞栓症に二峰性 京大循環器内科グループが医療ビッグデータ研究で明らかに

京都大学循環器内科の研究グループがメディカル・データ・ビジョン(以下 MDV)の保有する国内最大規模の診療データを活用して妊娠中の日本人女性の静脈血栓塞栓症(VTE、いわゆるエコノミークラス症候群)について解析したところ、VTE発症のタイミングは二峰性(2つのピーク)があることが分かった。1つ目のピークは妊娠第1期(妊娠13週まで)で、2つ目のピークが妊娠第3期(28週以降)だった。また、抗凝固療法を実施しても再発したり、出血イベントや院内死亡したりするケースがあることも明らかになった。
この研究は、京都大学循環器内科の山下侑吾氏、馬場大輔氏らの研究グループが取り組んだもので、その論文は、Circulation Journalに掲載されている。
原著論文はこちら→https://www.jstage.jst.go.jp/article/circj/advpub/0/advpub_CJ-25-0124/_article
解析したMDVの診療データは、2008年4月から2023年9月までに、VTEで入院した可能性のある妊婦1万5472例である。また抗凝固療法が実施されていなかったり、画像診断検査をしていなかったりした患者などを除外し、妊婦でVTEと確定診断された410例を研究対象とした。
VTEの再発例、出血イベントや院内死亡も
対象患者の平均年齢は33歳で、平均BMI(Body Mass Index)は23.8㎏/㎡だった。その中で、妊娠週で見たVTEの発症は二峰性の分布となり、1つ目のピークには126例(30.7%)、2つ目に236例(57.6%)、それぞれで発症した。また、抗凝固療法を実施しても、6か月の追跡期間中に17例(4.1%)でVTEが再発。出血イベントは同じ期間中に3例(0.7%)、院内死亡は410例中4例(1.0%)となっている。
研究グループの山下氏は、「妊婦のエコノミ―クラス症候群は妊娠後期に多いというイメージだったが、今回の研究で妊娠初期にもあることが分かった。脱水傾向や運動低下など同症候群を引き起こしやすい状況であることが考えられる。この研究のメッセージは、妊婦だけでなく産婦人科医を含めた臨床医に注意喚起として重要と思われる」と話している。

【静脈血栓塞栓症(VTE)、深部静脈血栓症(DVT)、肺塞栓症(PE)の略。VTEはDVTとPEを合わせた疾患概念、グラフは論文から引用】
山下氏のインタビューは以下の通り。
循環器内科医として、血栓塞栓症を専門にしています。特に今回、「妊婦」に関心を持ったのは、実際の医療現場で、妊婦で血栓塞栓症に困っている多くの患者さんを目にしてきたからです。
しかしながら、血栓塞栓症は、高血圧・糖尿病というような慢性疾患に比べると一般の臨床医にとって、遭遇する機会はあまり多くなく、さらに妊婦のデータを研究するのは難しく、不明点も多いため、医療ビッグデータで研究をしようと考えました。研究の必要性を現場のニーズとして感じたことも背景にありました。
繰り返しますが、一般の臨床医にとって、血栓塞栓症に遭遇する機会は多くなく、通常の研究という形では、十分な症例数での検証などは難しいのが現状です。私自身、血栓塞栓症を対象とした独自の大規模な疫学研究をしていますが、妊婦症例は全体の中でごく一部であり、これまで非常に検証が難しかったのです。
そこで、非常に大規模な母集団を有する医療ビッグデータが本検討には重要でした。MDVのデータベースは、保険データベースを基にした非常に大規模なデータベースであり、このような稀な病態、希少疾患での疫学的研究においては非常に有用でした。
静脈血栓塞栓症(VTE)発症の二峰性(2つのピーク)
研究の結果、妊婦の静脈血栓塞栓症(VTE、いわゆるエコノミークラス症候群)の発症タイミングは、二峰性が明らかになりました。1つ目のピークは妊娠第一期(妊娠13週まで)で、2つ目のピークは妊娠第三期(妊娠28週以降)でした。
一般的なイメージでは、エコノミークラス症候群は妊娠後期に多いという印象でした。これは、胎児の成長にともなう子宮による静脈圧迫や、生体が生理的に出産に備えて過凝固に傾くなどの理由があるためです。このようなイメージを持つ臨床医(産婦人科医)も多いかもしれません。
一方で今回の研究では、妊娠初期にも多いことが印象的でした。これは、妊娠初期も、妊娠悪阻(おそ、妊娠中にみられる極めて強い吐き気や激しい嘔吐のこと)などを含めて、脱水傾向や運動性の低下などにより、エコノミークラス症候群が起こりやすい状況の影響もあると思われます。
これらの時期にエコノミークラス症候群に注意すべきというメッセージは産婦人科医を含めた臨床医、さらには一般患者(妊婦)にも注意喚起として重要でしょう。
再発リスクは依然、不明点が多い
妊娠中に発症したエコノミークラス症候群が、その後の長期的な再発リスクが高いかどうかは、まだまだ不明な点が多いのが事実です。今後の研究の課題でもあります。
妊婦は若年であるので、高齢者と比べると、それほどリスクは高くない患者群であり、出血や院内死亡イベントはかなり稀ではあります。しかしながら、新しい命である胎児を抱えた若い妊婦が、死亡するという事態は、万が一発生した場合には、本人のみならず家族にとってもあまりにも甚大な事象であり、それを少しでも低減させる取り組みや啓発・研究の意義は大きいと考えています。
近年、医療コスト・経済の問題に加えて医学研究力の低下なども危惧される時代となっていますが、少子高齢化が進む現在にこそ、多少の採算を度外視しても、次世代の発展を目指す取り組みは極めて大きな意義がある研究であると個人的には考えています。
今後の研究テーマ
今後は疫学研究もより大規模かつより個人レベルでの違いにもせまるような研究が新しい研究の潮流になると考えられます。
我々の研究グループは、個人レベルでの違いをも加味した遺伝疫学領域も包括するような、大規模な医療データベースを用いた複数の研究を企画・開始しており、未来の医学研究として、個別化医療の実現を目指しています。
将来を担う次世代の若手研究者の中で興味のある先生方には、ぜひ、我々の取り組みにご一緒していただければと思っています。
【山下氏のご略歴】
京都大学大学院医学研究科循環器内科 助教
研究分野:臨床研究・精密医療・遺伝疫学・循環器内科学
2010年 京都大学医学部卒業
2010年~2015年 国立病院機構京都医療センターで臨床医として初期研修・後期研修(循環器内科学)のトレーニング
2015年 京都大学大学院医学研究科に入学し、主に血栓症および静脈血栓塞栓症を中心とした臨床研究に従事
2019年 博士課程を修了し、医学博士を取得
2021年 京都大学医学部附属病院 循環器内科 特定助教
2023年 京都大学大学院医学研究科 循環器内科学 助教




